グランクラス乗車レポート

グランクラス乗車記 【 投稿者 】:hc0719me 様
【 乗車日 】:2011/06/12
【 乗車列車 】:はやぶさ
【 乗車駅 】:新青森
【 降車駅 】:東京


あの時から、私は徐々に心も体も疲れ切って行きました。
多くのものを失い、知人を亡くし、自分自身もどこへ向かうべきか迷いながら生きています。

3カ月が過ぎた今ですが、目に見えない放射線との戦いは未だ終息せず、最悪の場合は故郷を離れざるを得ないと覚悟して毎日を過ごしています。

私は福島県二本松市出身・在住であり、現在は福島市の高校に勤務しています。5年前までは南相馬市に在住し、南相馬市や浪江町で勤務していました。

福島第一原子力発電所の事故の影響で、これらの地域は無人化し、かつての勤務校一帯は高濃度の放射能に汚染されてしまい、収束の見通しが立たない中にあります。
被災者には教え子が数知れぬほどおり、当人やそのご家族の心情を察しますと、旅をするなどややもすると不謹慎だといわれても致し方無いのも現在の状況です。

しかしながら、東日本大震災の義援金としてグランクラスの料金が一部充てられるとの事もあり、鉄道を利用することで被災者の方々の力になればと強く考え、今回の乗車となりました。福島県にE5系の営業列車が停車することは今のところありませんが、遠回りでも叶えたい事でした。

そもそも、私がグランクラスに乗ろうと考えたきっかけは『鉄道を愛好する身としては必ず乗車したい』という強い目標があったからです。震災以降その意味は違った方向に向かって行きましたが、それでも必ず果たしたい目標だったことに変わりはありません。

少年時代には全国を寝台特急に乗って旅を楽しみたいと夢見ていたものの、寝台特急は徐々に姿を消しており、その分の夢をグランクラスで挽回したいという強い気持ちもありました。車内サービスやアメニティグッズの利用など、実際に乗らなければ味わうことのできない時間を楽しみに待ちました。

グランクラスの利用は今回で2回目でした。新青森発着便は震災からの復旧後も軒並み満席で早々に諦め、初めて予約した際には5月22日(日)の仙台行きはやぶさ505号に的を絞って予約を試みて成功。

今回は臨時列車追加運転の知らせを見にし、発売時刻と同時にパソコンを使ってタイミングを見計らい、新青森から東京までの予約を試みたところ成功しました。2回とも「えきねっと」の利用で、座席も好みの場所を確保でき大変嬉しかったです。


旅の始まりは、二本松からいつも通勤で使っている普通列車でスタート。福島からやまびこ251号、仙台ではやて115号に乗り換えて新青森入り。その後、スーパー白鳥15号で蟹田まで足をのばして心地よい風に吹かれ気分もリフレッシュ。白鳥28号で新青森に戻りました。

新青森は開業後2回目の訪問でした。その活気は変わらず、1階のお店も大盛況。じっくりとお店を巡りお土産を選んでいると、なんとSLが運転されているとの情報を目にし、在来線ホームでD51-498と対面することができました。

新鋭の新幹線E5系にSL。更にはハイブリッド車や、数を減らしている中で今や少数派でありながら健在のブルートレインあけぼの、日本海。最後の客車急行はまなす。最後の485系白鳥。生まれ変わったE751系つがる。北海道への橋渡し役789系スーパー白鳥。在来線で毎日地域の足となって大活躍の701系にキハ40系、キハ100形など。

青森には時代を超えた生きた博物館とも言えるくらい、貴重な車両たちが目白押しです。新幹線の開業で夜行列車が削減される傾向がある中で、あけぼのと日本海が健在なのはとても嬉しい事。急行はまなすは新青森までは姿を見せないものの、青森駅に毎日姿を見せてくれていて北海道への夢を毎日運び続けています。更に新鋭のハイブリッド車両HB-E300系と国内初の設備とスペックを兼ね備えたE5系。ここにSLときたら、もうこれ以上望めないですね。

以上列挙した中で、SL牽引列車と寝台特急日本海には乗った事がありませんが、その他の列車には1回以上乗った経験があります。学生時代に急行はまなすで北海道へ何度となく訪れた日の頃を思い出させてくれるのは、とても励みになります。

運転士さんが笑顔で子供たちに話しかけ、D51には「がんばろう日本!がんばろう東北!」のステッカー表示がありました。

D51の勇壮な姿と大迫力の汽笛。運転士さんの笑顔にステッカー。

思わず目頭が熱くなりました。


時は進み、はやぶさ550号の発車が近づきホームへ向かいました。既に車両は入線しており、多くの人々がしきりにシャッターを切っていました。無論私もそのなかの一員となったわけですが。

そして時刻は15時をまわり、いよいよ乗車です。

グランクラスはさすがに注目の的で、多くの人が窓越しに目を凝らしたり、写真を撮ったり。この点は個人の良心に委ねるほか無いのですが、しばらくの期間は致し方ないでしょうか。しかし例えば、グランクラスは利用者以外立ち入れないように、アテンダントさんがきっぷを確認するなどのアクションがあると良いと感じました。相当昔にスーパービュー踊り子に乗った時、入口できっぷの確認があったと記憶しているのですが…今はどうなっているのかわかりませんが…そのようなシステムがあっても良いのではないかと考えました。

10号車はE5系単体では確かに車両の先端なのですが、考えてみればE2系はやて号と連結されているE3系こまち号は更に遠く、11号車から16号車までつながっているわけで、全体から見た感覚としては、10号車は中間より少しばかり新青森側に位置している事になります。やまびこ号でもE3系連結の列車は多く、10号車が先端という感覚を、私も含めて東北新幹線の利用者はあまり感じないのかもしれません。結果的に、停車駅の度に流入する人々が思いのほか多く、フラッシュを焚かれたり騒ぎ声で目が覚めてしまうなど、落ち着かなかった点だけが心に残ります。

一方印象深かったのは、はやぶさ550号の車掌さん。とてもご丁寧な口調の方で、アナウンスの一つ一つの言葉がとても解りやすい上に、心に強く響きました。まさにプロの技を身をもって体験できた事になります。「お陰様をもちまして、本日のはやぶさ550号。指定席、グリーン席、グランクラス。共に全て発売済みとなっております。まことにありがとうございます。」とのアナウンス。一般的には「座席の変更は致しかねます。」などのアナウンスがこの後に入る場合がほとんどなのですが、今回はそのような言葉が全くありませんでした。車掌さんの言葉遣い一言で、旅の印象は大きく変わります。その意味で、この日の事は一生涯忘れられないでしょう。

新青森を発車後、程なくしてアテンダントさんがおしぼりを持ってきてくれました。受け取った際は熱々の状態でしたが、少し待つと使いやすい温度となって徐々に冷めて行きました。まさに最高の状態で提供されたのだなぁと考えさせられました。従来の紙製おしぼりとは比較できない気分です。

飲み物はビールから頂き、続けてシードルにおつまみのおかき。赤・白ワインと和軽食を順番に頂きました。1回目の乗車時は下りの青森編。今回は上りの東京編。それぞれ違う味を頂く事ができてとても満足しています。お酒は…ちょっと頂き過ぎたかかもしれません…それでもその都度声をかけて頂いたので、気兼ねなく楽しむ事が出来ました。

この和軽食。一品一品が大変丁寧に作られており、一気に平らげるのではなく、少しずつ時間をかけて味わうということに終始しました。今回は東京直前まで時間をかけて味わい完食。徐行運転中で時間がかかった分、グランクラスの魅力に十分浸ることが出来ました。

余韻に浸るのも束の間。帰りのMaxやまびこ49号に乗車し郡山で乗り換え二本松に到着。小雨の中を帰宅しました。

たった1日だけで青森と東京の間を無理なく往復できるようになった事に感慨深いものを感じながらの旅でした。

ふと、中学生の時に大会で青森市に向かった時の事を思い出しました。当時は速達タイプのやまびこがあまり運転されておらず、東北新幹線盛岡以北も秋田新幹線も開業前。盛岡までは仙台以北各駅停車のやまびこで向かい、盛岡からはつかり号で青森に入りました。朝は7時に出発し、12時30分頃に到着。半日がかりの長い旅路でした。大会終了後はメモリアルシップ八甲田丸でのひと時に、アスパムで味わった青森の味覚。そして、帰路のはつかりは13時30分頃の発車。途中、野辺地からの南部縦貫鉄道も当時は健在で、愛らしいレールバスを目にして友人としきりに話をしたこと。19時頃に二本松に到着したこと。

もう何年も昔の事なのに、不思議と記憶の扉が開かれていく感覚。

仕事をするようになってから初めて、部活動顧問として東北大会行きのきっぷを手にして再び青森市に向かった事。
青森という場所は、私自身と不思議な縁で結ばれている場所なのかもしれません。


最後に。グランクラスは間違いなく至福の時を過ごすことが保障されている、最高のグレードを持つ座席です。特別な座席故、頻繁に利用することはできませんが、またいつか。今後は福島県にE5系が停車する時代の到来を待ち、退職後の両親に乗せてあげたいです。

2回の乗車で合計¥10,000が義援金に変わったと考えると、気持ちが少し楽になります。何事でもお金が強い意味を持ちすぎるのは良くないと考えますが、今回はお金以上に変えられない何かを得て戻ってくることが出来ました。

自分自身は今も決して良い精神状態では無く、被災された方々の気持ちさえ十分に理解できぬままの日々ですが、鉄道に夢をもらって少しずつ前を向いて生きて行きたいものです。

至福のひとときを、本当にありがとうございました。

グランクラスで得ることのできた希望を胸に、復興の道を確実に歩んで行きます。




※ユーザーレポートは、一部を除き原文で掲載しております。
※乗車した地点の情報であり、現在と情報が異なる場合があります。